ひどく感覚的な物語り方

  • 2010.03.03 Wednesday
  • 17:48
個人的な小説の書き方についてのおはなし。

僕の場合。

小説を作ろうとするときに、
『こういうのが書きたい』という目的があって、それを一から構成していく方法よりも、
ただ直感で、目的があるとかないとかも関係なく、ぽんと、僕のお話しを聞いてくれる誰かのために出力するストーリーは、なぜか前者よりも面白いんじゃないかと、最近、感じています。

で、これの理由がわからない。

たとえば、コラボで『15』という数字を与えられて執筆した時があって、結果的に『アクロバチック・フィフティーン』という作品になったのですが、あれは本当に、直感というか「ここはこうがいい」というその場の感覚で書いてて、プロットもなにも、その時その時の思いつきでつらつら一生懸命かいたら、ああなった感じで。

で、いざ『そういうストーリーが書きたい』となると、
僕はどうしてもそれを、理論的に? 再構築? して書いていこうとしがちで、
結果、うまくいかない。
言葉を繰り返すなら、
目的があって、それを構成しようとすると、書き上がりはするんだけど、なんかしっくりしない。

これは、この『15』の話しだけじゃなくて、たとえば『めがね』を題材に短編を依頼されたときも、『金田一耕助』で短編を依頼された時も、同じく直感で打ち返すようにお話をつくった覚えがあります。
その二編は、かなりしっくり行った覚えがある。

僕はだれかのために物語る方が、自分の目的達成的なルートからなにかを語るより、
なんというか、向き不向きで言えば、向いているのかもしれない。

アクションとリアクションの関係?
主観と客観が関係?
エンターテイメント精神の発露方向に偏りがある?
直感的に奇をてらおうとしている結果?
目的もなく、ただその場を面白くしようとする素直な気持ちが結果的には、個人的にはぴったりなエンターテイメントになる?

うまく言葉にできない。
あと、そのうまく行くという『誰かのために物語るストーリー』を実践するには、
どうすればいいのかもわからない。
自分から動くと、どうも邪念? みたいなものが邪魔をしてくる。直感が濁る。

僕の中に確かにあると感じる、このおぼろげな感覚から『あの時だけ』に出てくるストーリーとアイディア。
その『あの時』を、どうにかして能動的に使える方法を、いま、探っています。

たぶん言葉とか理論よりも感覚が先行しているという部分があって、
限定的な言葉を使って理論化してしまうと、まだ言葉になってない感覚的なものを置き去りにしてしまうのだとか、ちょっと思ったりもします。

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